「好きを仕事にする」って難しい。そこに金銭的需要が見つからないし、無から需要を作り出せるほどの「好き」ではないのかもしれない。
クレジットカードとか脱毛とかのアフィリエイトでガッツリ稼いでる人ってすごいけど、「じゃあ私がやる必要ないな」になりがち。わかりやすく金になるようなジャンルだとどうしても競合が多いし、クレジットカードや脱毛は上手く付き合えば人生を豊かにしてくれるけれど、それだけについて語れるほど好きなわけではない。
また、基本的に私のクリエイティビティは「自分がやらないと見たいものが見れない」時に最大限発揮される。「ないから作る」のだ。
海外ネトゲのストーリーに特化したブログ始めるし、

最近耳コピしたのは20年とかそれくらい前のキャラソンだし。
もちろん楽しいからやってる。
これが今どきのヒットソングならもっと再生数は多いのだろうが、「誰かがやってるからいいや」になりがち。〇〇風アレンジとかならまだないから私がやるというモチベーションになるかもしれない。
ともかく、私の作りたいコンテンツでたった一人でも喜んでくれるならそれでいい。
そして「私自身の好み」と「大衆の需要」は割とよくずれる。
さて、私はかつてWebライターを目指して挫折したことがある。単価の低さもあるが、時に自分の思想を曲げる必要があるのが苦痛だから。他人の価値観で物を書くというのは案外苦しい。選ぶ仕事が間違っていた説はある。
「ここを工夫したらもっと喜んでくれるかな?」という需要寄せは楽しい。でも、思っていない事を思っているように話せない。
例えば、第一志望でない会社に「御社が第一志望です」と言っても絶対にバレる。嘘が下手なのだ。やったことないのに「できます」なんて言えない。「未経験ですがやってみます」なら言えても。
「嘘をつかなくても良い」場所じゃないと生きていけない。肉体的に可能でも心が死ぬ。
常に他人と会話し続けないといけない環境も辛い。どちらかというと文章を読んでいたい。
「コミュニケーション能力が低くても許されたい」という為だけに1000時間机に向かったら紙上のスペックと引き換えに燃え尽きてしまった。
そして気づいた。別に医者や弁護士レベルを目指しているわけではない。本当は「年収300万円・残業なし」でよかった。コミュ障極まった私が正規雇用されるには結果的にそのレベル感の資格が必要だった「かもしれない」だけで、別に雇用形態こだわらなければどうとでもなるのだ。
非正規だと将来悲惨だぞと脅す声もあるけれどおそらく私は非正規雇用でも心豊かに暮らせるほうだ。
趣味にさほど金はかからない。0円で作り上げたものを0円で見てもらえる環境があれば十分だ。たまに欲しい本をAmazonで溜まったポイントで買うくらい。
交際費もほとんどない。なお、これがコミュ障の原因なのか結果なのかは定かではない。
結婚願望もない。どうやら現実の人間に恋愛感情を抱かない性質らしい。
私が望んでいるのは最低限の生活費を得て一人を楽しむ人生だ。弁当を作るのが面倒だからランチに入ったり、ペットボトルのお茶をがぶ飲みするのを「最低限」と呼ぶには贅沢かもしれないが。
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